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福井県


まるおかじょう

丸岡城 (福井県坂井市丸岡町) 
天守:現存天守  重要文化財   日本100名城
戦国期の主な歴史
1576年 柴田勝家の甥・勝豊により築城。
1583年 賤ヶ岳の戦い後、丹羽長秀の支配下に置かれる。
1600年 関ヶ原の戦い後、結城秀康の支配下に置かれる。
1612年 越前騒動後、本多成重が4万3千石で入城する。
(メモ)
現存天守以外の遺構はほとんど残っていないが、木材むき出しの天守は直に見るとかっこいい。
屋根は瓦ではなく、近場で採れる笏谷石(しゃくだにいし)が使用されている。
本多成重は、本多重次の子で、重次の日本一短い手紙「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」のお仙である。
 
独立式望楼型天守 笏谷石の瓦



ふくいじょう (きたのしょうじょう)


本丸石垣と堀

福井の語源となった「福の井」
福井城(北ノ庄城) (福井県福井市大手)
天守:なし  続日本100名城
戦国期の主な歴史
1575年 柴田勝家によって築城が始まり、北ノ庄城と呼ばれる。
1583年 賤ヶ岳の戦い後、勝家が自害し、城も焼失する。
1599年 青木一矩が20万石で入封する。
1600年 青木家が改易となり、結城秀康が67万石で入封。天下普請が始まる。
1604年 秀康が松平姓に戻り、越前松平家が誕生する。
1607年 秀康死去。秀康の子・忠直が家督を継ぐ。
1623年 忠直、幕府の命により隠居(のち配流)。忠直の弟・忠昌が家督を継ぐ。
1624年 忠昌、「北」の字が敗北を意味するとして「福居(福井)」と改名する。

(メモ)
 城跡は現在、県庁となっている。遺構としては大きな堀と天守台が残っている。
 天下普請よって築かれた結城秀康の北ノ庄城は、柴田勝家が築城した北ノ庄城跡地に築かれたが、本丸の位置は違う。
 江戸時代を通して越前松平家が居城とし、幕末には、四賢侯のひとり・松平春嶽を輩出している。
 福井は「ソースかつ丼」発祥の地といわれている。福井に行ったら、元祖といわれる「ヨーロッパ軒」さんの「ソースかつ丼」をぜひ食べるべし。
石垣 柴田神社(北ノ庄城跡)

郷土歴史博物館と松平春嶽像

復元された福井城・舎人門

福井市立郷土歴史博物館 (福井県福井市宝永)


<見れた展示物> 
紹介している展示物は常に見れるとはかぎりません

薙刀 無銘 伝 真田幸村所用 
 真田幸村が大坂の陣で使用していたと伝わる薙刀。幸村を討ち取った越前松平家臣・西尾宗次が持ち帰ったといわれる。

采配 伝 真田幸村所用
 真田幸村が大坂の陣で使用したと伝わる采配。漆が塗られた竹に和紙で作られたふさがついており、ふさには血痕が残っている。竹には「幸村公血付」の文字が見られる。